阿部和子は大阪市教育委員会などを通じて、講演に呼ばれています。
以下は、その講演録です。


      

歌声はあらゆる違いを超えて(1999.11)

                    音楽教育家・指揮者  阿部和子
       

 
 私の今を突き動かすものは亡き父の言葉であると思います。私は幼少の頃非常に身体が弱かったため病魔に犯され、明日をも知れない状況でした。大阪で3人しか治療を受けられない公費による高額な薬を3年間に渡って投与されなんとか命を保つことが出来ました。お医者さんの強力な薦めがあって治療を受けることが出来たのです。
 早く他界いたしました父は「和子は多くの人のお金、税金によって命を助けて頂いた。命のある限り多くの方にお返しをすることが生きる道である。」と絶えず言っておりました。
 

 NYのカーネギーホールで私の娘2人と息子を含む子ども達と高齢者200名の演奏を実現することができましたが、何よりもボストンの老人ホームを子ども達と訪問した時のことが忘れられません。90才を超える多くのお年寄り達と一緒におやつを食べ、子ども達は♪さくらさくら♪を歌いました。反日感情が心配な年頃の方達です。受け容れてもらえないかもしれないと随分悩みましたが、子ども達は自主的に片言の英語で話し掛けていました。
 帰国後、そのホームの院長から手紙を頂きました。「子ども達は小さな平和の天使の役を果たしてくれました。その後、ホームの方達は時に♪さくらさくら♪を口ずさみ日本から来てくれた子ども達の思い出を語り合っています。子ども達によって彼らの第2時世界大戦はようやく終わったのです。」

 台湾での経験も私にとって強烈な印象がありました。70才代の方が多くおられる混声合唱団を引き連れてまいりました。交流演奏会に先立ち、台北市長代理同席の歓迎レセプションが開かれました。レセプションの前に、70才代の男性に「間違っても日本の軍歌だけは歌わないでほしい。台湾には色々な思いの方々がおられる。反日感情に火をつけるようなことだけはしたくない。」とお願いし、レセプションに臨みました。
 乾杯・乾杯、宴たけなわになった頃、後ろのほうから♪貴様と俺とは同期のさくら・・・♪が聞こえてきました。「えらいこっちゃ!」と見たところ、台湾の同年齢の方々と方を組みながらの大合唱。やがて、涙を流しながら台日両国男性による♪海ゆかば・・・♪の合唱。
同時代を生き抜いてきた仲間にとって歌は、民族の違いを超え、時代・文化の違いを超えた連帯感の象徴にもなり得るということを痛感いたしました。

 私の長女は音楽家として今パリに住んでいます。東京芸大在学中に留学し、卒業のため一時帰国しましたがすぐパリに戻りフランス人若手作曲家と結婚し、現在も勉強を続けながら伴奏者や指揮者として活躍しています。彼女は一時帰国中に、フランス語を忘れないために東京の語学スクールに通っていました。長女と担当のフランス人の先生とのレッスン会話の中で、たまたま先生が故郷・プロバンスに南フランス音楽協会理事長をしている知人がいるので、私の率いる合唱団とプロバンスの人とで音楽を通じた交流会が実現できるのではないかという話が持ち上がりました。その話は1年の準備期間を経て、アルルから30分の距離にあるムリエス村にシルバー世代を中心とした混声合唱団を同道する形で実現しました。ムリエスでは教会の中で小さなコンサートを開き、互いの国の歌を歌い、教えあいました。何人かの通訳はいましたが、大阪弁のメンバーとフランスの田舎・プロバンス地方の人の身振り手振りでのコミュニケーションで不思議と話が通じているのです。音楽は世界共通の言語であることを今さらのように実感しました。
 ムリエス村の村長は女性で、私の長女を通訳として話をいたしました。ところが娘は途中で涙で通訳ができなくなりました。村長の言うことには「今回の交流で、国や言葉、人種の違いを超えて歌で心と心が通じ合うことが出来たことは本当に素晴らしい。マダム阿部の考えに私も心から賛成する。」
私の娘はフランスで、夫とごく親しい人を除いてフランス人から心のこもった温かい言葉を聞いたことがなかったと言います。外国人としての疎外感や、日本人として音楽教育の最高峰、パリ国立高等音楽院に在籍していることへの妬みなどで辛い思いを幾つもしてきた娘は、この言葉を聞いて決心したと、こう言いました。「私は音楽を通じて、日本とフランスの掛け橋になる。」 
 ムリエスの司祭が私たちの出会いに感動し、日本とフランスの平和的関係を祝して、また我々の旅が帰国のときまで安全で快適であるように祈りを込めて、今から一行がムリエスを去るときまでの間教会の鐘を鳴らし続けます、と言ってくれました。後でフランス人である娘婿の言いますには、フランスではこのようなことで教会の鐘を鳴らし続けることはめったにないことなのだそうです。
 教会の鐘は私たちがバスに乗り、町を離れるまで鳴り続けていました。その済んだ鐘の音は、私にとって生涯忘れられない思い出となりました。

 次代に残すものは、揺るぎない平和だと確信いたします。音楽を通じてのささやかな平和の種まき、市井の人々が人種を超え友情を深めることが平和につながると信じております。次代の平和にささやかでも貢献できればと音楽活動を続けています。
 トルコの国立高校で交流演奏会をした時にお世話になった方に、ユスフ・クトゥルさんがいます。トルコ地震でトルコが大きな被害を被った時、私の歌の仲間によって寄付が集まりました。早速ユスフさんに送りましたら、次のようなお礼の手紙で「私たちにそれ以上涙を流さないで下さい。今回の被害は国や市のもたらした人災でもあります。」と伝えてきました。そして決してこの寄付をおろそかにしないと、孤児達のために長靴を購入し、自分で現地に届けることをされました。
 

 音楽を通じて、世界中の人達との交流ができるようになりました。
「多くの人々のおかげで命をいただいた。人と共に生きていなさい。」と父は言い残しました。音楽を通じて、心豊かで平和な世の中の実現のため、これからもこの道を歩いてまいります。



講演場所例

四ツ橋大学、城東区関目東女性学級、晴明丘女性学級、東淀川第22回区民文化講演会「歌声は平和の種まき」、関西吟詩文化協会(神戸国際会議場)、金蘭会学園講演、此花女性会(ホテルシーガル天保山)、阿倍野区晴明丘地区「晴寿会」、大阪府母子寡婦福祉大会、ロータリークラブほか多数












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